自衛隊での経験で得たメンタルと体力

元自衛官YouTube エッセイ

私は陸上自衛隊で17年自衛官として勤務していました。

よく、「何で自衛隊に入ったの?」と聞かれます。

ですよねぇ~選択肢にないですよね・・・

私は宮崎県出身です。バブルが崩壊し、経済が一気に悪くなり就職氷河期になりました。

特に地方の宮崎県では、就職先が一気に減り公務員を狙うようになりました。

叔父が航空自衛隊にいたこともあり、また衣食住がタダということもあり、そして最初の勤務地が埼玉県だったのでミーハーな、都会に行けるという気持ちで、いたって軽く決めました。

本当に何も考えていない、学生でした。

そんなこんなで自衛隊に入ったのですが、当時の私は何と、「運動が苦手だった」のです。

体力もなく、筋力もなく、また運動神経がない。

部活では補欠、走ると遅く、根性もない。腕力皆無・・・

本当に何も考えずに自衛隊に入隊してしまっていたのです。

そして、初めから洗礼を受けました。

体力検定での1500m走では、何と120人中最下位・・・その他の種目でも、当時は「走り幅跳び、懸垂、50m走」と軒並み下位

どうなることやら私の自衛隊生活。

と今思えば、結構ヤバい状況なのですが、何も考えていなかったので、あまり深く悩んでいませんでした。

そして、私の長所だと思うのですが、とりあえず「何も考えずに体力をつけることに専念しました」

そしてみるみるうちに3か月の間に体力がついていきました。

あまりにもゼロに近かったので、伸びしろが大きかったんだと思います。

3か月の教育の最後の1500m走では、真ん中のほうになりました。現役中にもタイムがどんどん伸びました。

苦手だった短距離の50m走はTOP5に入りました。

すごい伸び具合!!

これは、今でも私の自信につながっています。そして

「やればできる!」と、言ってる人もいますが、やっても簡単にはできません。

できる人もいますが、私のような凡人はすぐにできないことのほうが多いです。

ただ、続けることで出来るようになり、どんどん自分を超えることができます。

入隊して5年目ぐらいです。
自衛隊のころの私

何も考えていなかった私が自衛隊での経験で得たメンタルと体力

人と比べない。

当時の私は、たとえ最下位でも次はあの人を抜かそう、とは考えていませんでした。

ただ黙々と訓練やトレーニングに励み、体力がつくことに専念していました。

また、始めから体力がないので仲間がとにかく助けてくれました。

自衛隊の寮ははじめの教育期間3か月は9人部屋で9人の共同生活です。

その同室の仲間がとにかく私は大好きで、すごいなぁ~と思っていました。

みんなで、過酷な訓練をしたり遊びに行ったり、24時間同じ生活なので、毎日、感謝や大好きな気持ちでいました。

なので、比べる思考にならなかったのかもしれないです。

今でもそれはあります。あまり、人と競争というよりは、とりあえず自分の決めたことを黙々とする。みたいな思考と行動です。

ヨガも始めた頃は、身体がかたく、インストラクターを目指し受けたてティーチャートレーニングでも、特に体の硬いほうでした。

でも、その時にできた仲間がとにかく大好きでした。

みんな、探求熱心でみんなからたくさんの刺激や学びをもらいました。

今でもその仲間と繋がっているのが支えになっています。

その時も自己鍛錬を黙々と行っていました。

出来ないポーズは、「いつかできるだろう」ぐらいで。

RYT200を取得できましたが、今でも日々練習し、身体への探求をしています。

継続する能力がついた

体力がないので、途中で挫折し辞めるという選択もありました。実際両親も「辞めていいよ」と言ってくれていました。

しかし辞めることなく日々の訓練に励んでいました。それには同室の仲間の存在も大きかったです。

重い銃に泣いたこともありました。寝れずに夜通しやる訓練は、あきらめそうにもなりました。でも仲間が支えてくれました。

若く、何も考えなかった私は、続けることの先にあるご褒美をたくさん知りました。

体力がついて、自信ができたり、仲間ができたり、何より考えるようになりました。

続けるためには、アホのように何も考えずすることと、目的を持つこと、楽しみを持つこと。

あの頃、まだ自衛隊での楽しみは見つけていなかったけれど、夜に仲間とお菓子を食べながら話すことは、とてもとても楽しく続けるためのご褒美でした。

徐々に体力がつくことで、自分に自信がつき続けられる自信につながりました。

私は性格的に目標をいつまでとはあまり設定しません。

目標達成するとできた気になってしまうから。勘違いは危険なので。

細かな目標は決め、コツコツとやるようにしています。

自衛隊にいた頃、私は「ラッパ手」といってトランペットのような自衛隊のラッパの資格のようなものを取らされました。

ラッパ手になると交代で朝と夕方に放送でラッパを吹かなくてはいけません。信号ラッパです。

マイクにラッパを向け、駐屯地中に響きます。とても緊張します。

ある時、ひどいスランプになり、音が出なくなりました。

それから、毎日昼休みに練習をしました。毎日、毎日。ただひたすら。

あれも不思議な心境でした。とにかく休まず練習しました。
(ちなみに、ほとんどのラッパ手が週に1回練習するかしないか程度です。)

ここでも何も考えない私はただひたすら、「昼休みに練習する」という小さな目標を続けていました。

そうすると、ある時の朝礼後、私のラッパがよかったので、駐屯地指令に表彰されました。

びっくりです。なんとなくうまくなっていたのはわかっていたのだけれど・・・それから何度か表彰されました。

継続後にご褒美がありました。お金はないですけどね・・・

ちなみに、ヨガをする上での目標は、「ヨガウエアを毎日着る」

えっ!そんなこと、いや、私にはそれがその簡単なことが継続の第一歩です。

ヨガウエアを着れば何を練習し、何が練習したいか、考えます。そこから、身体が動き始めます。

そして毎日のようにヨガができる。

行動を先にするようにしています。

これも自衛隊にいた時の、「とりあえず続ける行動をとっていた」からかもしれないです。

体力がついた

自衛隊にいたのだからもちろんなのですが、運動音痴で体力がなかった私には、体力に伴い、運動能力・運動神経が身に付きました。

格闘、銃剣道、射撃、ランニング、バレーボール、ソフトボール、様々な競技を経験していき自然と運動神経もよくなりました。

得意なのは射撃とバレーボールです。

苦手意識は多少はありましたが拒否できない環境でしたので試行錯誤の中、練習あるのみで身につけていきました。

これらの経験は今のヨガにもめちゃくちゃ活かされています。

年末に108回の太陽礼拝をおこなったのですが、

私もお客様とともに108回行い、しかもマスクをつけ、しゃべり続けなので、自分に体力がありよかったと思いました。

また、できる自信があったのだと思います。

一緒に108回やるインストラクターもなかなかいませんが・・・

一緒に汗を流すことのほうが私には重要だと考えました。

人と接するのが好きと気づいた

私は自衛隊でたくさんの仲間に支えられました。そして、その仲間と接することが楽しかったです。

ヨガのティーチャートレーニングでも同じように仲間と一緒に頑張ることが楽しかったです。

今でもお客様と接し、ヨガをし、話すことがとても楽しいです。

人と接することは自分の人生に必要不可欠だと思いました。

自衛隊で人を大事にすることを学びました。

そして、大好きなヨガを通してまたたくさんの人に出会いたいなあと思います。

 

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